| エッサ・ヨッサ | |||||||
ところでこの鐘は「エッサ・ヨッサ」というかけ声のルーツでもあるとか。鐘が重くてなかなか引き上げられなかったので、栄西が人々に「栄西長首座(ちょうすざ)」と声をかけさせたといい、それが転じてのちに「エッサ・ヨッサ」になったと伝わります。 |
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| 京への入口は諸街道の出発点 | |||||||
鳥羽街道 西国(さいごく)街道 竹田街道 |
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| ゆかりの人々 | |||||||
羅城門をはさんだ東寺の空海と西寺の守敏のライバル伝説は、数かずのエピソードとなって今も語り継がれています。神泉苑での雨乞い合戦、矢取地蔵の逸話など、いずれも空海の勝利で終わっています。 東寺と西寺は、ともに国家の鎮護を願って建立されたものです。しかし、東寺は真言宗総本山として栄え、かたや西寺は100年余りで廃れてしまいました。ふたりのライバル伝説はそうした東西の寺の明暗を語っているのかも知れません。それとともに、「弘法大師」信仰を日本各地に拡げた真言宗の民衆救済的な面によって、このようなライバル伝説が人々の中に長く生き続けてきたのでしょう。 『十六夜(いざよい)日記』と阿仏尼(あぶつに)
阿仏尼は、わが子冷泉為相(れいぜいためすけ)と夫為家(ためいえ)の正妻の子との相続争いの訴訟のために鎌倉に赴き、このときの紀行文が『十六夜日記』となりました。中世文学を代表する作品の一つになっています。また歌論書「夜の鶴」も書いており、為相に始まる冷泉派歌学の礎を築いた人物ともいえるでしょう。大通寺にはその墓といわれる阿仏塚があり、また直筆と伝えられる和歌(軸装)も残されています。 菅原道真誕生の地 羅城門の鬼と源頼光・渡辺綱(つな)
源頼光(「ライコウ」の呼名で親しまれています)は清和源氏の始祖源経基の孫にあたり、文武に優れた武将として知られています。またその家臣で武勇の誉高い「四天王」の一人、渡辺綱が羅城門で鬼に兜を掴まれ、暗闇のなか刀を抜きざまにその腕を切り落とした、という有名な逸話も残っています。この羅城門の鬼や大江山の酒呑童子、土蜘蛛など、頼光と綱たちが平安の都で活躍する「妖怪」退治の逸話は、当時の人々の畏れや願いを今に伝えています。 |
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| 猫の曲がり | |||||||
現在の大きな交差点の様子からは想像できませんし、いまは「白虎」もありません。それに、まるで魔物扱いされては猫にも迷惑な話ですね。 |
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