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キタオオジタウン |
地下鉄駅とバスターミナルに、都市型複合タウン。多彩な文化施設にショッピング街、スポーツ施設の拠点となっています。野外で行われる「ふれあいコンサート」、「キタオオジ祭」もすっかり定着しました。
◎小山北上総町(かみふさちょう)49
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京都市交響楽団練習場 |
「京響(きょうきょう)」の名で親しまれる京都市交響楽団では、月1回の公開練習日を設けています。「市民しんぶん」で50名を公募。演奏会の練習を間近に見ることができて好評です。
◎出雲路立テ本町(いずもじたてもとちょう)103 075-222-0331
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真言院 |
上品蓮台寺の支院の一つ。謡曲に源頼光(みなもとのよりみつ)を襲った土蜘蛛(つちぐも)の塚が「北野のうしろ」にあったとあり、その塚を頼光(らいこう)塚(写真)、別名蜘蛛塚といいます。千本鞍馬口(せんぼんくらまぐち)にあったのをここに移しました。 |
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雲林院 |
淳和(じゅんな)天皇(在位823〜33)が紫野へ行幸(ぎょうこう)の際に立ち寄る離宮「紫野院」でしたが、譲り受けた常康親王がここで出家し、一時は天台宗の寺院に。大徳寺発祥の地でもあり、十一面観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)、大燈(だいとう)国師像、江西(こうぜい)和尚像が安置されています。『源氏物語』にも登場し、『大鏡(おおかがみ)』の舞台としても知られています。平成12年9月、東方の同町内から離宮「紫野院(雲林亭(うんりんてい)、のちに雲林院)」の池や建物跡が発掘され、歴史を裏付ける貴重な発見となりました。
◎紫野雲林院町23 075-431-1561 時間/6:00〜18:00
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左大文字山 |
毎年8月16日の「五山の送り火」の一つがここで行われます。送り火には先祖供養と厄除けの意味があります。同夜、法音寺(衣笠街道町)で点火法要が営まれ、その火が親松明と手松明に移され(写真)、山上へ運ばれます。
◎大北山鏡石町・天神岡町他
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衣笠山 |
宇多法皇が真夏に白絹をかけて雪見に見立て楽しんだ「きぬがけ」から名付けられたとか、山の形が絹張の長柄の傘に似ているからなど、地名の由来には諸説があります。
◎衣笠衣笠山町
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鏡石(かがみいし) |
江戸時代の名所記にたびたび登場している鏡石。今では「衣笠鏡石町(きぬがさかがみいしちょう)」の標識の下に、青みがかった岩肌が昔の面影をわずかに残すばかりですが、源義経も姿見に使ったと伝承されています。
◎大北山鏡石町
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光念寺(こうねんじ) |
常盤御前(ときわごぜん)の守り本尊である腹帯地蔵。その地蔵尊を安置した地蔵寺と、念光が再興した光念寺が合併し、今の浄土宗光念寺になりました。安産祈願のお寺として知られています。また毎年4月第2日曜のやすらい祭「今宮(上野)やすらい花」の出発・帰着地でもあります。
◎紫野上野町150 075-491-0310
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常徳寺(じょうとくじ) |
日奥(にちおう)上人を開基とし、日猷(にちゆう)上人が金工の後藤氏の帰依を受けて中興しました。日奥上人は不受不施(ふじゅふせ)を主張し、秀吉、家康の弾圧を受けますが屈せず派祖となります。常徳寺には義経の安産を祈願した常盤地蔵、後藤金座のもとを開いた後藤長乗(ちょうじょう)像も安置されています。
◎紫竹東栗栖(ひがしくりす)町28 075-491-6480
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久我神社(くがじんじゃ) |
上賀茂神社の第八摂社。「大宮の森の鎮守(ちんじゅ)様」と呼ばれるにふさわしく樹齢600年の切り株も。賀茂川の上流久我の地は、山城国(やましろのくに)を賜った賀茂族の祖神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が移り住んだ地で、のちに命の神徳を讃えて祀ったのが久我神社です。人々はこの社を敬い「大宮」と称したので、その前通りは大宮通と呼ばれるようになりました。
◎紫竹下竹殿(しもたけどの)町47 075-491-6800
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牛若丸誕生井(うしわかまるたんじょうい)碑・胞衣(えな)塚 |
常盤御前がこの地で牛若丸を産んだと伝わります。畑地の中に産湯に使ったといわれる井戸の石と石碑があります。そのそばには「へその緒」を祀ったとされる胞衣塚があります。
◎紫竹牛若町
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源義経産湯(うぶゆ)の遺跡碑(いせきひ) |
紫竹南通を牛若(うしわか)通に入ったところに牛若丸の産湯に使ったといわれる井戸の石碑があります。大正15年(1926)の土地改良事業で、井戸が取り壊された時に建てられたものだといいます。
◎紫竹牛若町
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大田垣蓮月尼墓 |
大田垣蓮月は幕末から明治にかけての歌人で、蓮月焼でも知られます。76歳から85歳で生涯を閉じるまで西賀茂・神光院の茶所に隠棲。要所に案内板もあり、木のそばにひっそりとある蓮月尼の墓に至ります。
◎西賀茂毘沙門山小谷墓地
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船山(船形万燈籠) |
船船形万燈籠送り火の火床(ひどこ)がある山。船形は、西方寺の開祖円仁が承和(じょうわ)14年(847)に唐留学の帰路、嵐の中を南無阿弥陀仏と唱えたので無事に帰れた故事に由来するといわれています。
◎西賀茂船山
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大将軍神社 |
磐長姫命(いわながひめのみこと)を主祭神とする西賀茂の総氏神です。都の四方を護る大将軍神の、北の神として祀られました。本殿は、上賀茂神社の摂社(せっしゃ)片岡神社旧本殿を移築したもので、同じく片岡神社の刻銘のある鉄燈籠とともに、京都市指定有形文化財です。
◎西賀茂角社町(すみやしろちょう) 075-493-2750(連絡先/今原氏宅)
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川上大神宮社 |
もと上賀茂神社読経所(どきょうしょ)の鎮守(ちんじゅ)社であったともいわれますが、確実な史料は乏しい。普段は老樹に覆われひっそりと鎮まる同社が、年に一度華やぐのが4月第2日曜のやすらい祭の日。「川上やすらい花」は、ここでやすらい踊りを奉納、町内を巡行したのち、紫竹西南町(しちくせいなんちょう)の総神社を経て今宮神社へ参り、昔ながらの形を残しています。
◎西賀茂南川上町 075-493-2750(連絡先/今原氏宅)
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惟喬(これたか)社 |
旧出谷(でたに)村の産土(うぶすな)神で、惟喬親王を祭神に祀ります。親王が愛育した雌鳥の遺骸をこの地に埋めたとされることから、「雌鳥(めんどり)の宮」とも呼ばれています。
◎雲ヶ畑出谷町
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高雲寺(こううんじ) |
臨済宗永源寺派の寺院で、本尊は釈迦牟尼(しゃかむに)仏。惟喬親王が落飾し隠棲した「耕運宮(こううんのみや)」跡と伝わります。親王は父・文徳天皇に愛されましたが、母が紀(き)氏の出身(紀名虎の女(きのなとらのむすめ)静子)であったため、右大臣藤原良房(よしふさ)の女明子(むすめめいし)がもうけた惟仁親王が、清和天皇として皇位を継ぎました。
◎雲ヶ畑中畑町190 075-406-2176
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雲ヶ畑林業総合センター |
平成11年夏にオープンしたばかりの、北山杉と中津川の水音に囲まれてたたずむおしゃれな木の建物。80名収容の会議室や喫茶・軽食コーナー、特産物展示・販売コーナーなどがあります。林業体験や季節のイベントも。
◎雲ヶ畑中津川町323
075-406-2215(又は同組合406-2631)
料金・時間等は利用内容により異なる
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福蔵院 |
浄土宗の寺院。本堂には阿弥陀如来像を、観音堂には石清水八幡宮豊蔵坊(ほうぞうぼう)から移した豊臣秀吉の守護仏と伝わる十一面観音像を安置。境内には後桜町(ごさくらまち)天皇から内裏南庭の桜の実を賜って育てたとされる南殿(なんでん)の桜(写真)があります。
◎雲ヶ畑出谷町97 075-406-2465
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氷室神社 |
「氷室」は氷を作って貯蔵し、宮中(きゅうちゅう)に献上したところです。この「氷室の里」は『延喜式(えんぎしき)』の「愛宕郡栗栖野(おたぎぐんくるすの)氷室」にあたる官営の氷室の跡地。氷室神社はその守護神として稲置大山主神(いなぎおおやまずみのかみ)を祀ります。痘瘡(とうそう)の神としても知られています。氷室(跡)・氷池・氷室神社と三者揃って現存する遺構は、市内では当地のみです。京都市指定史跡、拝殿(写真)は京都府登録有形文化財です。
◎西賀茂氷室町
075-493-2750(連絡先/今原氏宅)
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大森賀茂神社 |
大森賀茂神社は、『延喜式』の「堕川御上(おちかわみかみ)神社」と伝わります。境内は北山杉の木立に囲まれ、鎮守(ちんじゅ)の森をなしています。
◎大森東町
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岩戸落葉(いわとおちば)神社 |
周山街道から小野へ至る分岐点に位置し、岩戸社と落葉社の二祠(し)からなる小野の代表的な神社です。秋はイチョウの黄葉が境内を彩ります。
◎小野下ノ町
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長福寺 |
長福寺は惟喬親王ゆかりの寺と伝わります。小野郷大森は、平安初期の歌人で文徳天皇の第一皇子、惟喬親王が隠棲した地と伝わり、親王にまつわる遺跡や伝説が残ります。ここもその由緒地の一つです。
◎大森東町162 075-406-2411
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小野篁・紫式部の墓 |
堀川通の喧騒を背に路地を入ると、『源氏物語』の作者紫式部の墓と、平安初期の学者であり詩人であった小野篁の墓が並んで立っています。
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霊源寺 |
後水尾法皇勅願により寛永15年(1638)に仏頂国師一絲文守が開山。幕末に、和宮降嫁問題で排斥の声に押された岩倉具視が潜伏した寺院としても知られます。境内は桜、ツツジの名所。
◎西賀茂北今原町41 075-491-0334
境内以外は一般非公開です。
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