| 千本鳥居 |
稲荷山はご神体山として全体が信仰の対象です。明応(めいおう)8年(1499)に建立された本殿横から山に入る巡拝路には、千本鳥居といわれる鳥居のトンネルが続き、神聖な雰囲気が漂います。近世にはすでに「願いが通る」と「鳥居を通る」の語呂合わせから諸願成就を祈願して、また、願いが叶えられたことに感謝して鳥居を奉納されるようになりました。 ◎深草薮之内町68 075-641-7331 |
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| お山めぐり |
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| 薬力社(やくりきしゃ) |
薬力社は万病平癒の神として、信仰が厚く、拝所にはカラフルな千羽鶴が吊るされ、火袋にはローソクの火が絶えることなく揺らいでいます。境内には薬力の滝があり、寒中でも修行をする姿が見られます。稲荷山には行場としての滝が10数ヵ所あり、お滝にうたれての行や願掛けは今も続いています。近くのおせき社は風邪と咳の病気に霊験があるといわれています。 ◎稲荷山官有地紅葉谷 075-641-3846 |
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| JR稲荷駅ランプ小屋 |
明治13年に稲荷駅・山科駅(小野)を経て大津へ至る東海道線が開通。JR奈良線の稲荷駅に残るランプ小屋は東海道本線・稲荷駅の名残です。赤いレンガ造りの建造物は当時、鉄道省のランプの油倉庫として使われていたもの。往時の時刻表や手提げランプなどを展示しています。JR線の切符または入場券があれば見学することができます。 ◎深草稲荷御前町 075-641-0506 |
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| 阿保親王塚(あぼしんのうづか) |
◎深草正覚町 |
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| 宝塔寺・山門 |
朱塗りの山門は宝永(ほうえい)8年(1711)の建立。右側の密迹(みっしゃく)金剛像は仏師康揩(こうかい)の作、左の那羅延(ならえん)金剛は康圃(こうふ)の作で、寛文(かんぶん)10年(1670)3月の完成。山門の中央には日蓮(にちれん)の御紋、井げたに橘を白く染め抜いた赤い大提灯が吊り下げられ、天井には牡丹(ぼたん)図が描かれています。 ◎深草宝塔寺山町32 075-641-1859 |
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| 宝塔寺・多宝塔 |
本堂の南にある小さな多宝塔は下層が行基葺という珍しいものです。方三間、本瓦葺で永享(えいきょう)11年(1439)の建立。木割が細かく優美で、全体に手の込んだ装飾がほどこされています。応仁の乱の兵火をまぬがれた貴重なもので、京都最古の多宝塔で重要文化財に指定されています。 ◎深草宝塔寺山町32 075-641-1859 |
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| 七面山(しちめんやま) |
宝塔寺の本堂横を登って行くと、七面宮に出ます。七面宮は宝塔寺の鎮守社で、法華経(ほけきょう)守護の吉祥天(きっしょうてん)が祀られています。宝塔寺・七面山・深草墓園を結ぶコースは、散策路として最適で、伏見城の雄大な姿や、遠くは男山、天王山を望むことができる山上からの眺めは絶景で画人・俳人の村上蘭田(むらかみらんでん)の句碑があります。また、稲荷山との間の谷は砂川源流地です。 ◎深草宝塔寺山町 |
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| 深草北陵(深草十二帝陵) |
はじめ後深草(ごふかくさ)天皇の遺骨が安置されていましたが、後深草・伏見両天皇の遺骨が祀られるようになってからは、後伏見(ごふしみ)・後光厳(ごこうごん)・後円融(ごえんゆう)・後小松(ごこまつ)・称光(しょうこう)・後土御門(ごつちみかど)・後柏原(ごかしわら)・後奈良(ごなら)・正親町(おおぎまち)・後陽成(ごようぜい)(と歴代の天皇の納骨堂となりました。静かな住宅街の一角にあり、北朝(持明院統)の12柱の天皇を祀ることから深草北陵は、深草12帝陵とも呼ばれています。 ◎深草坊町 |
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| 深草弥生遺跡 | 注目をあびた遺跡
昭和20年代の後半から京阪深草駅と藤森駅の中間地点で、深草遺跡の発掘調査が行われ弥生時代中期の壷などのほかに、多量の石器や土器が発見されましたが、なかでも木器は、現在も使われている形と同様の鋤(すき)、鍬(くわ)などの農耕具のほかに、建築用材や日用品も多数発見されました。これらに使われた木材は周辺の豊富な森林から得られたものと考えられています。 ◎深草西浦町3-30 深草西浦中公園内 |
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| 仁明天皇陵(にんみょうてんのうりょう) | 諸学に通じた天皇
仁明天皇(810〜850)は嵯峨天皇の第3皇子。仁明天皇は学問に造詣(ぞうけい)が深く、中国の諸学に通じたといわれています。天皇に仕えたのが伴善男(とものよしお)で、当時の傑出した人物でしたが、応天門(おうてんもん)の火災事件の際に、放火の罪を着せられ、伊豆に流されました。伴大納言絵巻は応天門事件を取扱ったものです。この頃から藤原北家による政権の独占が行われ、摂関政治がはじまりました。 ◎深草東伊達町 |
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| 聖母女学院 |
赤レンガと緑の屋根が特徴的な英国ビクトリア調の宮殿風の香りが漂う荘厳な建物です。現在は聖母女学院の本館ですが、終戦までは陸軍第十六師団司令部として使われていました。明治41年にイギリス人の手によって竣工され、現在もその内部は当時の歴史をそのまま残しています。かつて陸軍の街として栄えた当時の深草を感じることができる建物です。 ◎深草田谷町1 075-641-0507 |
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| 龍谷大学 |
元陸軍第十六師団司令部の兵器庫の跡地に、昭和35年龍谷大学が深草学舎を開設しました。学舎内にはギリシャ神殿を思わせる荘厳(そうごん)な様式の講堂があります。入口正面にある陶板壁画は、画家平山郁夫(ひらやまいくお)が釈尊説法(しゃくそんせっぽう)の図を描いた『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)』をもとにつくられました。陶板の大きさは縦5メートル、横11メートルで昭和59年の完成当時は日本一の大きさでした。 ◎深草塚本町67 075-642-1111 |
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| 京都教育大学 |
明治41年(1908)に、第十六師団司令部が伏見深草の地に進出。水運から陸上交通への切り換わりで衰退していた伏見はにわかに活気づきました。現在京都教育大学のある場所には、歩兵第九連隊・歩兵第十九旅団・京都連隊区司令部が置かれていました。前身の師範学校から昭和24年(1948)に新制大学、京都学芸大学となり、同32年北区より現在地に移転。さらに41年(1966)に京都教育大学となりました。 ◎深草藤森町1 075-644-8100 |